仁美のヒトミ

趣味(読書、芸術鑑賞)の記録を主に、日々の雑感などをつづります。

子供の熱中症死を続出させる「根性大国ニッポン」の狂気

熱中症をめぐり現在の社会の動きについて
いろいろ考えていましたが、
自分の考えに近い記事が見つかったので
引用させていただきます。



別の記事で
「(熱中症の問題があろうとも)高校野球全国大会は甲子園球場でやることに意義がある!!」
という主張を見ました。
ネットのコメント欄をみたら同意しているコメントの方が多いようです。

高校野球を経験していない人にはわからない。甲子園は聖地だ」という方もおられましたが
経験していない者から言います。
「たかだか学生スポーツの大会を人生の目標にしてすべてを犠牲にすることを美しいとする
日本の価値観が間違っている」と。
大学の箱根駅伝についても同様に考えます。

学生の部活動は教育の一環として行われるべきもので
それを生活・人生の目的化することは本末転倒です。

ブラック部活動問題も根ざしているところは同じだと考えます。



今こそ、日本のスポーツ界は
「体育(会)」から脱却し、
科学的スポーツへと舵を切るべきです。

これは主義や思想レベルではなく
多くの未来ある子供・若者の生命を守れるかの問題です。





子供の熱中症死を続出させる「根性大国ニッポン」の狂気

7/26(木) 6:00配信

ダイヤモンド・オンライン

● 甲子園だけじゃない! 日本企業にも息づく狂気

 この狂気はどこからくるのか。そのヒントは、やはり「死の行進」を生み出した日本軍にある。実は旧日本軍の演習でも、今の高校野球の練習を彷彿とさせるかのように、暑さでバタバタと人が倒れていた。

 85年前の夏には、富士山の裾野演習をおこなっていたところ「赤坂第一聯隊 殆ど日射病で倒る 死亡七名 重軽患者百数十名」(読売新聞1933年7月3日)なんてことがちょこちょこ起きている。

 なぜこういうことになるのか。そこには、戦後アメリカ軍が日本の敗因を分析したレポートの中にもある「精神主義の誇張」がある。「重傷も癒す精神力 戦場の将兵は科学を超越する」(読売新聞1940年12月28日)なんて記事からもわかるように、「精神力」を鍛えれば、どんなに体をいじめても問題なし、という考えにとらわれていたのである。

 これが教育現場に持ち込まれ、今だに綿々と息づいているのが、部活動であり、甲子園である。「動じぬ精神力・打ち勝つ野球… 打倒私立へ、都立の意地」(朝日新聞デジタル×ABCテレビ 2017年7月8日)なんて見出しからもわかるように、スポーツ科学が発達した今もなお、高校球児たちは、旧日本軍的な「精神力があれば何でも乗り切れる」という「根性指導」を強いられている。

 そして、もうお気づきだろうが、この「1人や2人ぶっ倒れるのは想定内」という根性論は、教育を終えた子どもたちが身を投じる企業社会にも当てはまる。強い組織を作るためには、「1人や2人ぶっ倒れるのは想定内」という厳しい鍛錬のなかで、強い組織人をつくることが求められる。

 そこから脱落して、心を病んだり、自殺をしたりする人は「たまたま弱かった」で片付けられる。つまり、部活で子どもの熱中症死が何度も繰り返されるのと、ブラック企業で若手社員の自殺が後を絶たない問題は、根っこがまったく同じであり、それは「バターン死の行進」にも通じる、「犠牲者を前提とした組織運営」という狂った基準があるのだ。

 今年も甲子園が開幕する。猛暑のなかで肩を酷使しながら速球を投げるピッチャーや、意識朦朧としながら白球を追いかける野手を、同じく暑さでフラフラな子どもたちが喉を枯らして応援をする。子どもたちが苦しみ悶えて、がっくりと膝をつく姿を見て大人たちは、「なんて美しい姿だ」と感動をする。

 「異常な暑さ」という言葉をテレビや新聞で耳にタコができるほどよく聞くが、もしかしたら異常なのは暑さではなく、我々の社会の方ではないのか。

窪田順生
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最終更新:7/26(木) 10:35
ダイヤモンド・オンライン

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