仁美のヒトミ

趣味(読書、芸術鑑賞)の記録を主に、日々の雑感などをつづります。

クリスマスに思う・・・。

本日、クリスマスイブということで
世間ではにぎやかな夜を過ごされている方も多いことでしょう。
若いころは「キリスト教徒でもないのに、おかしい!」と目くじらをたてていたものですが。
 
 
今は、あれは宗教行事ではなく「年中行事」なんだととらえるようになりました。
日本人は季節ごとの行事が大好きで、その一環なんだなあ、と。
季節の具体的なとらえ方は変化していきますが、季節感を重視すること自体は
いつの世も変わらないのではないでしょうか。
 
 
それから、宗教観について。
「日本人は無宗教だ」という言い方をしますが
私はそうではなく「宗教に寛容だ」ととらえるべきではないかと思います。
八百万の神」という神道的理念が未だに、日本人の価値観に根付いているのではないでしょうか。
 
日本の宗教史を振り返ると
まず神道が土着の宗教としてあり、そこに外国から仏教が輸入され
神道と仏教が併存する形で長く歴史が続いています。
どちらに勢力が強いかは時代によりますが。
 
この曖昧な形が継続していることが、日本人の価値観・文化の一つの象徴であり
その大本に神道があるのではないのかなあ?
実際に権力を握っていたのは初期だけなのにも関わらず
天皇制が千年以上も継続していることにもつながる問題なのでしょうか、
興味深いです。
 
 
イエズス会などの熱心な布教にもかかわらず
キリスト教が国全体には定着しないのも
(他の神を禁じる)一神教が日本にはなじまないからではないのでしょうか。
 それにしてもどうしてキリスト教徒の方って布教したがるのでしょうか。
私は人様の信仰に干渉する気はなく、干渉されたくもないのですが。
 
イスラム教は日本になじみがないですが
こちらもきっと広まらないのではないかな。
 
 
 
 
私がこのような考えをもつようになった直接のきっかけは
プロ野球横浜ベイスターズが珍しく強かった年のことです。
優勝の立役者は必勝のセーブ投手 「大魔神 佐々木」です。
 
当時、横浜のデパートそごうの前に
大魔神社」というブースが特設されていました。
鳥居やお賽銭箱などを置いて
佐々木投手を神とした「神社」を祭っていたのですね。
 
驚いたのが、お賽銭がけっこう納められていたことです。
小銭とはいえ、あの量ならかなりの額になっていたと思うけど
あれはどこの収入になったのかな(笑)
 
大魔神社なんてシャレだって、みんなわかっているのに
形だけでもお賽銭をなげて拝んじゃう所に感服しました。
これには「八百万の神」の思想が反映されているのだと思うのですが。
イスラムのお国でこんなことしたら、処刑ものではないのかな。
 
 
 
 
 
ということで、年末年始の宗教行事を
矛盾を感じることなく満喫してきたいと思います。