仁美のヒトミ

趣味(読書、芸術鑑賞)の記録を主に、日々の雑感などをつづります。

大掃除に思う

大掃除=片づけの季節、です。
 
まず物をどかさないことには掃除できないので。
 
 
 
うちの場合、比重が大きいのは
服と本です。
 
 
服については、もう整理術が出来ています。
 
買う物についてはワードロープ全体を考えて
必要な物を判断しています。
衝動買いをして失敗することもないので
無駄な服が場所をとることはないです。
 
捨てる決断も大分できるようになったので
(保管する場所の方がもったいないと思えるようになった)
着古したものをいつまでも取っておくことも少なくなりました。
 
使用度の割に場所を取るのは
和服ですが
これは将来に向けての必要経費と思うことにしました。
 
 
 
課題は、本です。
 
部屋の美観を気にしなければ
いくらでもためておけるのですが
震災以来それは止めました。
(崩れてくると危ないから)
 
本棚とか所定の保管場所(スペースはけっこうあります)に
収納できないものは捨てる、というルールにしました。
 
それから、読みあきた本は減価償却されている、という考えをもつことによって
「本を捨てるのはもったいない」というこだわりから
解放されました。
 
ボランティア団体に寄付するので
「捨てる」訳でもないし。
この団体は寄付のシステムが確立してるので
利用する方も至極便利です。
 
 
量的判断はシンプルになりましたが
問題は捨てるものの選別です。
服は見た目、似合うかどうかなので判断しやすいのですが
本は内面的な問題なので難しいです。
 
現在の自分に必要なものなのかどうかを
判断するのです。
これが難しい。
 
「今の自分とは?」という哲学的命題に
結びついてしまうのです。
ま、忙しいのにいつまでも悩んでいられないので
適当なところで線をひきますが。
 
この作業は年末より
お正月にのんびりした気分で
やる方がいいのかも。
 
 
「また読むかも」本は捨てることにしました。
また読みたくなったら買えばよい
というルールにしたので。
 
とにかく物より場所・空間に価値があるという
考え方です。
「断捨離」思想はいいです、きっぱり判断できるようになって。
 
 
 
マイ・ルールの大原則は、
「本当に取っておけるのは
自分の火葬の時にお棺に入れられる量だけ」
です。
 
祖母の葬儀の時に得た経験則です。
おばあちゃん、ありがとう。
 
 
 
もともと「思い出を残す」ことに興味はなくて
写真やビデオは撮らないのですが
きっぱりやらなくなりました。
 
「思い出を保管する」ための作業って
手間・暇・場所を取るんですよね。
 
それが無駄に思えていましたが
断捨離と震災(室内に物が多いのは危険)のおかげで
論理的正当性を得ました。
ふっふっふ。