仁美のヒトミ

趣味(読書、芸術鑑賞)の記録を主に、日々の雑感などをつづります。

「天平の甍(てんぴょうのいらか)」 井上靖

中国の高僧 鑑真(がんじん)来日に至るまでを描いた歴史小説
 
 時代は古代聖武天皇の治世、第九次遣唐使遣唐使)が発遣となった。
 遣唐使とは、先進国である唐(中国)に人を送り、優れた文化や宗教を
 学んでくるという使節。船での旅は無事に着く保証はなく、いつ帰国できるかも
 決まっていなかった。
 
 留学僧の普照(ふしょう)と栄叡(ようえい)は、日本の仏教に「戒律(かいりつ)」を
 伝えるため、伝戒の師を招聘するという使命を持って渡唐する。
 鑑真和上の来日が実現し、日本で最初の授戒が行われるまでには
 長い年月と苦闘が要された。
 
普照たちの船には、戒融(かいゆう)、玄朗(げんろう)を合わせて計4名の僧が乗っていました。
その他、先の遣唐使で入唐していた留学僧など数々の人物が現れ、
それぞれの命運をたどります。
鑑真とともに帰国できたのは普照一人です。
 
 
歴史という大きな流れの中での人間一人一人の存在、というのものを感じます。
ちっぽけなものであり、かつ重みのあるものでもあり。
 
僧たちはそれぞれの運命にしたがって人生を終えますが
もっとも劇的に描かれていたのは業行という人物です。
 
唐に二十数年もいる業行は、ひたすら経論を書き写し続けています。
「自分がいくら勉強してもたいしたことはない」と考え、
たくさんの経巻を書き写して日本に持ち帰ることだけを念願としています。
しかし、業行が命以上のものを賭けた経巻たちは日本に渡ることはありませんでした。
 
 潮は青く透き徹っており、碧色の長い藻が何条に海底に揺れ動いているのが見えた。そしてその潮の中を
 何十巻かの経巻が次々に沈んで行くのを普照は見た。巻物は一巻ずつ、あとからあとから身震いでもする
 ような感じで潮の中を落下して行き、碧の藻のゆらめいている海底へと消えて行った。その短い間隔を置いて  一巻一巻海底へと沈んで行く行き方には、いつ果てるともなき無限の印象と、もう決して取り返すことのでき
 ないある確実な喪失感があった。そしてそうした海面が普照の眼に映る度にどこからともなく業行の悲痛な
 絶叫が聞えた。
 
 
 
 
井上靖さんは好きな作家で、昔作品を読みあさりました。
どこか好きかといえば、文章が淡々としている所です。
 
劇的なストーリーでありながらも文章に「演出」を感じる部分はありません。
登場人物が内面を吐露する記述も少ないです。
 鑑真は栄叡たちの依頼に即座に答えて渡日を承諾し、幾度の失敗・失明の後も
決意をゆるがすことはありません。しかしその決意の理由や感情の描写はなく、
強い意志をもって行動する悠揚たる姿が描かれるだけです。
 主人公的存在の普照の最後も、作品の末尾に簡単に記されているのみです。
 
事実を淡々と書き綴っているようでありながら、
作品の主題が重々しくこちらに迫ってきます。
文章が平坦なだけ、返ってそこにこめられた思いが強く伝わってくるようです。