仁美のヒトミ

趣味(読書、芸術鑑賞)の記録を主に、日々の雑感などをつづります。

「松風の家」 宮尾登美子    [文藝春秋]

茶道の裏千家をモデルにした、歴史ある家柄を支える女性を描いた芸道小説
 
 時代は明治、京都 後之伴家は千利休を祖とする茶道三家の一つという由緒ある家柄。
 明治維新後激変した世の中で茶道の行く末が危ぶまれる中、十二代家元恭又斎
 十三才の息子(十三代円諒斎)に跡を譲り家を出る。存亡の危機にある後之伴家を再興させるため
 苦闘する家人たちを、恭又斎の娘由良子を中心に描く。
 
宮尾登美子氏は、女性をテーマとして語る作家で、
特に芸術の道を描いた芸道小説諸作が有名です。
 
 
茶道の家のトップは男性である家元で、表にでるのは男性ですが
家の中でそれを支える女性たちを描いています。
 
主人公由良子は、一言でいうと「耐える女性」です。
自分の苦痛は黙って堪え忍んでお家のために働くなんて、
現代人には理解しがたい価値観です。
 
由良子は、父がよそに作った娘ですが、幼い時から後之伴家にひきとられて育ち、
10歳の時初めて出生の秘密を知ります。
しかし父が家をでた後も血の繋がらない家族の元に残り、厳しい状況のお家を支え続けます。
 
子どもだった由良子が成長するにつれ、家を取り仕切る主婦の役割を果たすようになります。
由良子自身のように、夫婦の間ではない所に子どもが生まれることが家の中で起こります。
母 猶子は、そのようなもめ事を内々で丸く納める役割を由良子に頼みます。
自分の出生の事情を父に問いただした時には「人の秘密をほじくり返すのは恥ずべき仕業」と戒められます。
由良子は、そのような身の処し方が代々この家を守ってきた女の生き方だと納得し、実践するようになります。
 
 
 
 
フェミニストが読んだら激怒しそうなストーリーなのですが
私はしみじみと感じ入りました。
 
若かりし頃は、このお話のような生まれた時から将来が決まっている立場に
憤りを感じていました。
自分の人生は自分の意志で選択すべきものである、と。
 
しかし、若い時期を過ぎたころから考えが変わりました。
「個人の自由」よりも大事なものはいくつもあると思うようになりました。
 
由良子が夫の不秀から家の歴史を語り聞かされた時、長い間胸に溜まっていた澱のようなものが
溶け去っていく気持ちになった、とあります。
  二百五十年という長い歳月、一つ看板で通して来た家には、容易に人を容れぬ固陋頑瞑の厚い壁があり、膝  を屈して幼児から修行を乞うた得々斎には寛恕を示しても、成人して門をくぐった恭又斎は決して許さなかっ   たのだと思うと、そこには人間の小さな感情のやりとりや小波などを超えた年月の悠久を、由良子は感じない  ではいられなかった。
 
何百年の歴史というものは、何百人もの人の人生によって作り上げられたもので
それに比べればたった一人の人生は軽いといえるのではないでしょうか。
そういうものを背負う人生を、幸不幸どちらにとらえるかは価値観の違いだと思いますが。
 
茶道の家には業躰(ギョウテイ)と呼ばれる内弟子がいます。由良子の最初の夫不秀は業躰で
家と円諒斎のために人生を捧げ、二十九歳で亡くなります。
自分の人生を他人に捧げるなどばかばかしい、という見方が普通かもしれませんが、
「自分探し」を何十年も続けているよりは、早くに捧げる対象が見つかった方が幸せなのかもしれません。