仁美のヒトミ

趣味(読書、芸術鑑賞)の記録を主に、日々の雑感などをつづります。

「茶と美」   柳宗悦    [講談社学術文庫]

民藝の柳宗悦の評論集
「『喜左衛門井戸』を見る」「茶道を想う」「織と染」「茶器」「『茶』の病」「日本の眼」
など13編収録
茶道を論じた文章が中心
 
 
発表年代順に収録されていて、
最初の何編かは読みにくかったですが、だんだんこなれてきました。
 
初期の文章は、いかにも日本近代文学といった雰囲気で
修辞過剰で感情過多で、現代の読者にはついて行き難いでしょう。
偏見ではないけど独断に満ちている感じ(笑)
 
全体を通して感じたのは自己肯定感の高さ。
自分の思想に全く疑いを持ってないんだなあ、と。
さすが白樺派学習院出ですから。
 
 
 
私も茶道をちょっとだけ習っていたので
現代(近代)茶道界に対する論評は興味深かったです。
 
 茶道は風流人だという。・・・・・・・俗にあって俗に落ちず、地上にあって悠々別天地を持つ者こそ風流人であ   る。風流人はそれ故自らの風流をも忘れる底の人でなければなるまい。風流を意識し風流に留まるごときは風 流人ではない。風流に執するなら新たな俗気である。
 
 茶事を茶室で行うのは当然だが、一歩茶室を出て、家庭の暮らし、不断の居間、茶の間や台所に入るとおよそ 「茶」の心とは関係ないものが沢山つかわれている。そこには茶室の飾りなどとはおよそ縁のない俗な暮らし方 が沢山見られる。・・・・・・私の考えでは、茶室は一個の道場のようなものである。ここで修行した見方を     日々の暮らしに深く交えてこそ始めて茶室の「茶」が活きてくる。否、ある意味では不断の暮らしこそ大切であ  って、ここに茶生活の基礎がないと、茶室の「茶」は嘘ものになってしまう。
 
 
 
 
「物をじかに見る」ということが、宗悦の思想の中でも重要な事項の一つだと思いますが
この本の中でも随所に触れられています。
 
  知る人は見る人ではない。・・・知る力があったとて、見る力が伴わずば、知り得たといえようか。知る前に見  ずば、知ったとて何が見えよう。文献の考証や解釈の整理はいくらあってもよいが、肝腎の一物を欠くと、すべ てを失うにも等しい。
 
美術展を見ている時、作品を見るより先に解説文を熱心に読んでいる方がおられますが
違和感を覚えます。