仁美のヒトミ

趣味(読書、芸術鑑賞)の記録を主に、日々の雑感などをつづります。

詩歌が苦手だった理由

最近、和歌関係の本を何冊か読んでいますが
それで思い出したことがあります。
 
 
私は子どものころから国語が好きで、
進学する時も日本文学専攻を選びました。
 
だから国語は全般的に得意だったのですが
唯一苦手だったのは詩歌。
現代詩、短歌、俳句など、種別を問わず敬遠していました。
 
 
それはなぜなのか、振り返ると
「感動を押しつけられる」ことが嫌だったのです。
 
教科書に載っている作品を、一律に「すばらしい」と感じることを
強制されているような気がしていたのですね。
 
詩歌全般に価値がないとは思いませんが、
人それぞれ作品によって好き嫌いはあるものですよね。
 
 
 
 
今になってその時の気分を思い出しているのは、
主観まるだしの文章に会ったからです。
 
詩歌を語るとなれば、主観的な感想を外す訳にはいかないのですが、
「自分に酔っている」レベルにまでいってる文章を読むのはキツい
 
「和歌を語る」というより「自分を語る」内容になっていると、私にはついていけません。
 
 
 
某「万葉集入門」という本では、
ある歌のテーマを、外国のある小説と同じだといい
「でも深みという点ではこの和歌の方が断然優れている」と述べていました。
 一つの歌を賛美するために、なぜ他の作品を引き合いに出さなければいけないのか、
しかも他国の別形態の作品とは。
偏狭的な国粋主義っぽくて恥ずかしい・・・。
 
 
 
こういう傾向は、特に和歌分野に強いのではないかと推測します。
和歌の特徴として一つ気づいたのは、歴史が古い=権威主義
だということ。
 
和歌作者の過去の皇族に対して、最高敬語を当たり前に使っていたりと
右翼的匂いもあり、私は苦手です。
 
その辺りへの自己分析を、竹西寛子氏は、著作中で触れていて
さすがだと思いました。
 
 
 
 
詩歌が人の感情にうったえるものである以上
著者の主観が入らない文章は書けない訳ですが
「主観を客観的な文章で語る」くらいの意識はあってほしいものです。