仁美のヒトミ

趣味(読書、芸術鑑賞)の記録を主に、日々の雑感などをつづります。

「下流志向」 内田樹   [講談社文庫]

副題は、「学ばない子どもたち 働かない若者たち」
数年前に話題になった本です。
 
裏表紙の紹介文より
 なぜ日本の子どもたちは勉強を、若者は仕事をしなくなったのか。だれもが目を背けたいこの事実を、
 真っ向から受け止めて、鮮やかに解き明かす怪書。「自己決定論」はどこが間違いなのか? 「格差」の
 正体とは何か?目からウロコの教育論、ついに文庫化。「勉強って何に役立つの?」とはもう言わせない。
 
 
「今の日本の社会はおかしい!」と憤りをお持ちの皆様にお勧めします。
どうしてこんな状況になってしまったのか、腑に落ちる絵解きがたくさん述べられています。
 
 
 
 
特に印象に残ったくだりをいくつかご紹介します。
 
 
子どもたちは就学以前に消費主体としてすでに自己を確立している。
        諏訪哲二 「オレ様化する子どもたち」からの引用
 
学校:生徒=販売者:消費者   教師:生徒=従業員:顧客  
という価値観を幼児のうちに確立してしまうというような意味です。  
 
 
これが「何の役に立つのか?」という功利的問いを下支えしているのは「自己決定論・自己責任論」です。これ もまた「自分探しイデオロギー」と同時期に、官民一体となって言い出されたものでした。そして、それが捨て値 で未来を売り払う子どもたちを大量に生み出しているのです。
 
消費者意識を持つ生徒は、製品の有用性を確認しなければ、購入しない
=勉強することの意義が納得できなければ勉強しない。
しかし、そのことによって被害を被るのは未来の自分自身なのです。
 
 
 
自己決定したことであれば、それが結果的に自分に不利益をもたらす決定であっても構わない。
 ある種の「自己決定フェティシズム」です。
 これの典型は医療現場での「インフォームド・コンセント」だと思います。
 
「患者様」とかあほらしいですよね。(さすがにもうすたれたようですが)
自分を治療してくれるお医者さんに素人がケンカ売って何になるんでしょう。治してもらえなければ自分が
困るだけなのに。
 
 
○「青い鳥」を探すのは悪いことではありませんけれど、みんなが「青い鳥」を探しに出て行ってしまったら、あと の始末は誰がするのか。「青い鳥仕事」のようなロマンティックでイノベーティブな生き方も人間社会には必要  不可欠です。けれど、日常的でぱっとしないけれど、誰かがやらないといけない「雪かき仕事」のようなものも社 会を維持するためにはやはり必要なのです。
 
椎名誠氏の「岳物語」はおもしろかったのですが、氏のエッセイは好きになれませんでした。
その理由はここにあったようです。
青い鳥派の氏は、雪かき仕事を軽視しているように感じました。
 
 
 
○消費行動は本質的に無時間的な行為なのです。
 労働を消費行動のスキームでとらえる若者たちが「労働からの逃走」の道を進むのは、彼らが時間を勘定に  入れ忘れているからだと私は考えています。だから、賃金は原理的に不当に安いということになります。それは どう見ても等価交換には思われない。なぜなら、自分が会社やクライアントに対して差し出した「苦役」に対して 「それと等価の報酬」が同時期に与えられてないからなのです。
 
PC、携帯電話、最近ではスマートフォンの普及は人間をどんどん退化させていっていますよね。
「便利」病は現代最悪の習慣病でしょう。
 
 
学びからの逃走、労働からの逃走とはあのれの無知に固着する欲望であるということです。
 教育の場にシラバスというジョブ・ディスクリプションを持ち込んだことを僕は教育の自殺行為だと申し上げまし た。それはこれから学習を始めようとしている学生に、彼がまだ何も学んでいないうちに、学びの行程の最期ま でを、一望俯瞰できる二次元的な図像として、つまり無時間モデルにおいて与えることだからです。
 
現代日本(世界?)の病理の要因は、すべての価値観を経済の論理で計ろうとすることですね。
 
 
昔は先生が立派だったということを言う人がいますけど、僕はそれは違うんじゃないかと思うんです。(二十四 の瞳の)大石先生なんか、今の小学校に連れてきたら、たぶんあっという間に学級崩壊してしまうほどに指導  力のない先生です。でも、そんなか弱い女の子が理想の教師たりえた。そういう師弟関係の力学がちゃんと昭 和のはじめまでは機能していた。個人の力量の問題じゃなくて、制度としてきちんと機能していた。これはすご く「燃費のいい」教育方法だったと思います。教師の育成にかかるコストがたぶん今の何分の一かで済むんで すから。たいして指導力のない先生が立派に子どもたちを育て上げることができる。

 学校に訳のわからない人が入っていって、教師が三人死傷するという事件があった。そのときに、PTAを相手 の説明会では、開口一番に何人かの親が「学校の管理責任はどうなっているんだ」と校長以下をどなりつけた そうです。子どもを守って死んだ先生もいるわけです。まず死んだり傷を負った先生たちにお礼を言うのが筋で しょう。
 
クレーマーの親に読ませたいものです。