「やきもの鑑賞入門」 出川直樹 [新潮社 とんぼの本]
やきもの=陶磁器の鑑賞の手引き書
この手の本は、いろんな出版社から数々発行されていますが
内容はそれぞれで、有用に感じるものとそうでないものと様々。
出版社によっての傾向というのもあります。
山川出版社のは、やっぱり社会科的で学術的で
読んでいて‘楽しめる’ものではなかったです。
この本はすごく私好みでした。
筆者がいいんだろうと思います。
文章がわかりやすいし
客観的視点と主観的視点のバランスもよい。
やきものを見たり、関連書籍を読んだりしていて
なんとなく疑問に感じていたことの解答を
もらえたりしました。
章立ては
「鑑賞力について」「鑑賞の変遷」「わが国独自の陶磁観」「徹底鑑賞五例」
陶磁器の鑑賞に必要な基礎的知識・教養を、概括的に並べてもらっている印象です。
感銘を受けた記述はいろいろ。
○「鑑賞力」について ~「鑑賞力」は存在するか~
この章最初の文章です。
芸術鑑賞の力というものを客観的に判定できるのかどうか、とは
ファジィな問題だと思います。
数値などの客観的基準で測れるものではないけど
「個人の好みの問題」と100%主観的として判断すると
骨董屋とか芸術評論家という商売が成り立たなくなるし
国宝などを決める基準は誰が決めるんだって話になってしまいます。
私個人はある程度の選別(1000円、1万円、100万円、値段がつかない、くらいの差)は
客観的(不特定多数に基準を示せる)にできるものだと思います。
でも、同レベルの中での差というのは個人の好みの問題になるんじゃないかなあ。
この辺りの疑問に対しても説明をもらえました。
○「鑑賞力」について ~感傷と鑑賞は違う~
柳宗悦の文章を引用してそれについて述べています。
この文の激しい感傷に流されることなく、つとめて冷静にこの「鑑賞」を吟味してみよう。
・・・・しかし現実には、かの民族は詩歌や民謡や仮面劇や農楽などに民族の心情を籠めたが、屋根や靴の 先の曲線でそんなものを語りはせず、しかもその「曲線」自体が朝鮮半島の工芸に特に多い訳ではない。 彼以降、こうした現実に目をつぶって、自分の内側で醸成した一方的な思いこみを感傷的に表出する、とい うのがすぐれた鑑賞であるかのような風潮が確立してしまった感がある。
私は柳宗悦の「民芸」の趣味自体は好きなのですが、その思想や‘宗派’的な重さに
うっとおしさを感じて距離を置いていました。
この心理を論理的に解明してもらってすっきりしました。
人それぞれ、価値観は多様でありますが
排他的、独善的な考え方は受け付けられませんね。
だって、その人の方が他を受けつけないんだから。
柳宗悦の茶道論をちらっと読んだ時、
そんな風に思いました。
民芸思想って実は体育会系?(笑)
やきもの(伝統工芸)に興味をもつようになって
ある程度の年数が過ぎました。
今までは、あえて知識を覚えようとはせず、
目に入るものをそのまま見るようにしていました。
(柳宗悦氏の「直観」という考え方はとても共感します)
そろそろ知識を取り入れ、体系的に学ぶことを始めてもいい時期なように
感じています。
その教科書として適した一冊だと思います。
「教科書」に必要な条件、
体系的、概括的、論理的、客観的、総合的、普遍的
といったものを備えた本だと思います。