「松本清張傑作短編コレクション 上巻」 宮部みゆき責任編集
文春文庫から出ています。
第一章 巨匠の出発点
「或る『小倉日記』伝」
芥川賞受賞作です。
宮部さんの「前口上」より
私がこのコレクション企画で毎日ルンルンしている時期、出版界は--というより世の中全体が、二人の新芥 川賞受賞者を寿いでいました。第一三〇回の、金原ひとみさん「蛇にピアス」と綿矢りささん「蹴りたい背中」で すね。第二十八回から第一三〇回まで、ざっと五十年の歳月が流れています。半世紀ですよ。世の中大きく変 わるはずですね。でも一方で、人間の心の有り様は、存外変わってないんじゃないかなとも思うのです。
「蛇にピアス」も「蹴りたい背中」も現代を生きる若者の身の置き所のなさ」と、それと闘いつつ折り合いをつけ てゆく日常--というものを描いていると、私は思いました。それはそのまま「或る『小倉日記』伝」の主人公で ある田上耕作につながります。耕作も、当時の世間に身の置き所がなかった。・・・・・・・
どうやったって生き難い世の中を生きてゆく--「とにかく生きているし、これからも生きてゆく」人間を、現在 進行形でつぶさに描くことが、芥川賞がその対象とする純文学の仕事であるのならば、「或る『小倉日記』伝」 は、確かに純文学なのです。
私は受賞のニュースでイマドキの女の子が壇上に立っているのを見て、隔世の感を覚えましたが、
表面は変わっても中身は、清張から金原さんまでずっと続いているんですね・・・。
第二章 マイ・フェイバリット
この文庫に収録した中でも、特に一番好き!という作品だそうです。
「理外の理」
私も好きな作品なので選ばれていてうれしいです
「前口上」の最後のくだりは、私も同じ感想を持っていたので「やったあ」と思いました(^_^)v
「削除の復元」
「前口上」より
平成二年の作品です。一読すると、清張さんが巨匠となり、創作の最晩年期にかかっても、小倉時代の森鴎外 に、デビュー以来変わらぬ強い興味を抱いておられたことがよくわかります。でもそれと同時に、生身の人物を 研究対象とする際に、知的好奇心だけで突っ走ってはいけない、対象への敬愛と謙譲の念、そして事実に対す る冷静な観察眼がなければ、どれほど調べ尽くし考察を尽くしても、何か大事なものが欠けてしまうのだ--と いう真摯な信念も伝わってきます。これは、後進の作家たちに対する清張さんの直言であり、託す希望でもあ ったことでしょう。小説家畑中利雄と白根謙吉との白熱したやりとりは、そのまま、清張さんが若い作家たちに 贈る言葉だったのだと、私は思います。
第四章 「日本の黒い霧」は晴れたか
この章では、例外的に長編の抜粋を載せてあります。
ノンフィクション作品から二編です。
「昭和史発掘」
「二・二六事件」についての個所です。
この事件は日本が泥沼の第二次世界大戦に突入する上で、重大な転機になったそうです。
「前口上」より
二・二六事件が起こったのは、昭和十一年二月の雪の日です。清張さんが「昭和史発掘」のこの部分を書いた のは、昭和四十二年から四十六年にかけてのことでした。読みながら、どうぞ、この文章はリアルタイムで書か れた調査報道ではないのだということを、お忘れにならないでください。昭和十一年の時点では、この国に“報 道の自由”はありませんでした。くどいようですが、だからこその「発掘」。その時代を生きた人たちが知らされな かったことを、白日のもとにさらすために、清張さんはこの長大な現代史ノンフィクションを書いたのです。
この「昭和史発掘」は、文庫で全十三巻になるそうです。
いつになるかはわかりませんが、必ず読破したいと思います。
「日本の黒い霧」
「~~の黒い霧」という慣用句は、清張氏の発明なんですね。
「追放とレットパージ」についての個所の抜粋です。
「前口上」より
占領下の日本国民は、文字通り、この政策に振り回されました。どれほど尊く自由を謳う思想であっても、それ を以てひとつの国家がひとつの国家を占領統治するという現実の中では、汚いこと、ズルいこと、目を背けたい こともたくさん生じてくるのです。結果が良かったんだから、過去のことは忘れちゃったっていいじゃない--で はなくて、日本が民主化されていく経過には、確かにこういう出来事があったのだということをぜひ若い読者 の皆さんに知っていただきたい。それが、未来のために必ず役立つ知恵になると、私は信じています。
だんだん見えてきた気がします。