仁美のヒトミ

趣味(読書、芸術鑑賞)の記録を主に、日々の雑感などをつづります。

「砂の器」 松本清張

著者代表作の長編
 
なるほど名作です!上下巻に分かれる長編で読むのは時間がかかりますが、ぜひお薦めします。
宮部みゆきさんも言ってましたが、清張作品はタイトルが実にかっこいいですね。
 
 
 ある早朝、蒲田駅操車場の始発電車の車両の下から死体が発見された。
 五十五歳くらいの男性で身元は分からないようにされていた。被害者は前日の夜、蒲田駅近くの
 安いバーで目撃されている。三十歳くらいの男といっしょで、東北弁で話していたという。
 捜査は難航し本部は解散されるが、今西刑事は単独で犯人を追い続ける。
 
1960年に書かれた作品で、犯人の動機には当時あった差別問題が関わっています。
 
 
ストーリーは、犯人を追う今西刑事の捜査と、「ヌーボーグループ」という若い前衛的芸術家
グループの動き、という二つの流れで進んでいきます。
 
ヌーボーグループは、学者、小説家、ジャーナリスト、詩人、映画関係者などさまざまな分野の人間で
構成されていますが、中心的人物は作曲家の和賀英良と評論家の関川重雄です。
「既成の制度や権威、モラルを破壊する」主義のグループで、業界の権威者に対して挑発的な言動を
とりますが、その反面、和賀は大物政治家の娘と婚約し後ろ盾を得ています。
人間の矛盾を感じさせる描き方です。 
 
 
今西刑事は、職人気質のベテラン刑事でお蔵入りしそうな事件をねばり強く追い続けます。
彼の捜査を読んでいて迷路の探索を連想しました。
手に入れた事件のわずかな手がかりから、出口に繋がると思われる一本の道をたどってみたけれど
行き止まり。その道が間違いだとわかれば、元に戻り次の道を探しまたたどってみる。
またダメでやり直し、ということを何度もくり返し、その間に新しい手がかりはないかと探し続けています。
 
彼は、中央線の線路沿いに落ちているかもしれない布片を探すために、真夏の炎天下
草むらを見つめながら何十㎞も歩き続けます。気の遠くなるような作業です。
彼の執念は実って、犯人の遺留品を手に入れることができました。
 
捜査のため各地を飛び回る今西刑事ですが、休暇をつかって自費で旅行をしています。
それは、的はずれかもしれない調査のために限られた捜査費から出張費を請求することに気が引けた、
という理由です。
被害者の三木元巡査もそうですが、職務に誇りを持ち全身全霊を尽くし、それをひけらかすこともしない
という美しい日本人が昔はたくさんいたのでしょうか。
 
事件には、二人の哀しい女性が役割を果たしています。
彼女たちは日陰の身でありながら、愛する男性のために自分の身を捨てて尽くしています。
 
 
被害者の三木謙一は、誰に聞いても良い評判しかないという人格者でしたが、
犯人によって惨殺されます。
しかし犯人の苦しい過去を知ると、犯人に対して同情の気持ちを禁じ得ません。
善人には、善人ではない人間の苦悩がわからない。
善意が返って相手を苦しめることもあるというのが世の難しさでしょうか。
冒頭の、バーでの加害者と被害者の会話の中の言葉
  「君に会えて・・・こんな嬉スいことはない・・・・大いに吹聴する・・・みんなどんなに・・・」  
この時に犯人は殺害を決意したのでしょうか。
 
 
 
謎解きの中で、「東北弁」と「カメダ」という地名が大きい手がかりとなっています。
犯人はこれを利用して、警察の捜査をかく乱させようとします。
この謎の元には「方言周圏論」という学説があります。学生の時学んだことだったので
とても興味深かったです。
 
 
 
 
最後の場面が非常に印象的です。
その場所は羽田空港の国際線ロビー。
今西刑事は、犯人が海外留学に出発するその日ぎりぎりに逮捕状をとることに間に合ったのです。
 
彼の門出を祝う見送りの人々は、世の羨望を受けるような華やかな集団で、
成功が約束された彼の人生を象徴しているようです。
しかし、飛行機に乗り込むその直前に彼に声を掛けたのは刑事でした。
殺人罪」の逮捕状をもって。
 
この刑事は今村ではなく、彼を慕う若手刑事の吉村です。
今西は「ぼくはいいんだ。これからは、君たち若い人の時代だからな」といって、役をゆずったのでした。
 
彼が飛行機に乗り込む姿に最後のお別れをしようと、送迎デッキで待つ見送りの人々に
聞こえる場内アナウンスで、物語は幕を閉じます。
 
 「二十二時発、サンフランシスコ行のバン・アメリカン機にご搭乗なさいます・・・・・・・さまのお見送りの方に
  申し上げます。・・・・・・様は急用が起こりまして、今度の飛行機にはお乗りになりません・・・・・」   
    ゆっくりとした調子の、音楽のように美しい抑揚だった。