「伊豆の踊子」 川端康成
二十歳の学生である主人公が伊豆を旅行している時に、旅芸人の一座と出会い
その一員である踊り子の少女との交流を通して、心境が変化していく姿を描く。
冒頭の文が名文として有名です。
道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、
すさまじい早さで麓から私を追って来た。
教科書にも掲載された、一番有名な場面は
「いい人ね」
「それはそう、いい人らしい」
「ほんとにいい人ね。いい人はいいね」
この物言いは単純で開けっ放しな響きを持っていた。感情の傾きをぽいと幼く投げ出して見せた声だった。 私自身にも自分をいい人だと素直に感じることが出来た。
無邪気な踊り子の言葉が、主人公のひねくれていた心を開いた、という場面です。
新潮文庫の解説ではこんなふうに書いてあります。
人生の汚濁から逃れようとする青春の潔癖な感傷は、清純無垢な踊り子への思いをつのらせ、孤児根性で 歪んだ主人公の心をあたたかくときほぐしてゆく。雪溶けのような清冽な抒情が漂う美しい青春の譜である。
しかし、私は清冽な抒情にひたるよりも、つっこみをいれたい個所がいろいろ目についてしまいました
旅芸人の営業には売春的業務が含まれているのは文中のあちこちにほのめかしてあるし、
主人公が旅芸人を追いかけてきたのは最初はスケベ心じゃなかったのかなあ、とか。
「好奇心もなく、軽蔑も含まない、彼等が旅芸人という種類の人間であることを忘れてしまったような、
私の尋常な好意」とか言ってるあたりが偽善っぽいとか。
一座の男性に二階から金包みを投げて渡しているのは、相手を下に見ている意識の表れに思えるし。
踊り子の清純無垢は、むしろ性的な環境にいるからこそひきたっているものなのではないでしょうか。
いずれ環境に染まっていく前の一瞬の美というか。
今は載っていないと思いますが、教科書に載せるには問題ある内容ですね、よく考えると。
カツオ君が珍しく熱心に読書していると、
マスオ兄さんが「君にはまだ早い!」といって取り上げます。
その本が「雪国」だったのです。
そんなにアダルトな内容なんだろうか、と印象に残ったのでした。