仁美のヒトミ

趣味(読書、芸術鑑賞)の記録を主に、日々の雑感などをつづります。

寒川神社 相模薪能 講座

8月15日に寒川神社で行われる薪能のシテをつとめられる
中森貫太氏による事前講義です。
 
某カルチャーセンターの講座なのですが、
当日の入場券が付いていたところが魅力です。
 
 
 
当日の演目のことだけではなく、
能楽の成り立ちや歴史を、当時の時代背景に即してわかりやすく
お話してくださって、興味深かったです。
 
始まりは、奈良の興福寺の参拝客を集めるための出し物だったそうです。
最初は大衆向けの低俗な芸能だったそうですが、足利将軍義満に世阿弥(鬼夜叉)が
見いだされたことから権力者と結びつくようになったそうです。
 
演目の内容は時代によって変遷がありますが、
特に、江戸時代に入ってからとそれ以前に違いがあるそうです。
それは、武士階級の共通語として能の脚本が採用されたからだそうです。
参勤交代で、各藩のお殿様が江戸に集められていましたが、それぞれのお国言葉では
意思疎通ができないので、共通語を定める必要があったのです。
 
だから当時の武士の会話は、能のお舞台のような芝居がかった口調で
行われていたそうです。
特権階級である武士がその威厳を他に示すために、必須のスキルであったとか。
能にはまったお殿様のエピソードはいくつも耳にしますが
単なる道楽ではなく、処世上の必要な教養だったのですね。
 
江戸時代には能の脚本は簡素化されたそうです。
玄人用のものでは、お殿様たち向けのテキストとして難しすぎるので。
能の脚本や演技が、長い時間を経ても変化していないのも
この事情によるそうです。
 
古典芸能三権分立論みたいなのも、おもしろかったです。
能=武家の政治権力、歌舞伎=財力・民衆の支持、雅楽=公家方の名誉、歴史的権威
と違う分野によってたっていたそうです。
 
 
 
以前から気にかかっていた疑問も解消しました。
お能の舞台には幕がないので、演目の開始と終了のタイミングがわからないのが
悩みだったのです。
 
スタートは、舞台裏から笛の音が聞こえてきた時です。
演者が一人ずつ舞台に出てくるときにはもう始まっているわけです。
終わりは、舞台上の人物が全員舞台から退いた時だそうです。
 
だから、その間は観客は静かに待っているのがマナーだそうです。
拍手はナシです。
そもそも日本には拍手という習慣はなく、明治の議会で西洋から導入されたんだとか。
 
 
 
 
相模能の演目は
      能:「巴」       シテ:観世喜正
      狂言:「樋の酒   シテ:野村萬斎
      能:「舎利」      シテ:中森貫太
 
野外能は初めてなので、楽しみです。
 
 
中森貫太氏は、鎌倉長谷の能舞台の主催をされています。
こちらも一度行ってみたいです。