仁美のヒトミ

趣味(読書、芸術鑑賞)の記録を主に、日々の雑感などをつづります。

『イシュタルの娘 ー小野於通伝ー』に思うこと

大和和紀氏の歴史漫画、連載も終盤になってきたでしょうか。

戦国時代の伝説的な女性 小野於通を主人公にしたこの漫画
コミックスを最初買ってたんですが
なぜかしっくりこなくて止めてしまいました。

理由が整理できました。


連載は今、於通が
徳川秀忠の娘 和姫の天皇家への輿入れの介添人になることを
依頼されて、江戸城に滞在しています。

そこで春日局(三代将軍家光の乳母)と対決するシーンがあります。
春日局の思想はお家大事で、
次期将軍家光の天下を盤石にすることが至上命題です。
そのためには個人としての感情などは問題になりません。

それに対して、於通は
天皇家に嫁ぐことが和姫の幸福でしょうかと疑問を呈します。
春日局はそれを一蹴しますが
当時の価値観としてはそちらが当然でしょう。



於通の人物造形は
権力や時代にとらわれず自分を貫く自由人というものです。

時代性に合わなくても、個人としてそういう人物がいたというのはアリだと
思うのですが、
歴史の重大な転換点にある最高権力者の判断に対して
個人的な異論を提示するということに違和感があります。

二代将軍の娘を天皇の后にするということは
権力体制維持のため重大な意味があるわけで
そこに個人としての幸せなんて考慮の余地はない。
将軍家の娘に生まれた責任というものがあります。


時代ごとの価値観は違いがあり、
フィクションといえども
それを無視したストーリー設定、人物造形は
ふさわしくないと考えます。

NHKの昨今の大河ドラマもその点で
見る気がしません。
歴史ドラマとは呼べないでしょう。



現代の「個人の自由、至上主義」というのに
食傷していることもあり
げんなりします。

それこそ価値観は人それぞれではあるのですが
歴史的価値のある芸術を引き継ぐ家系であったりするならば
自分個人としての一生よりも、伝統を受け継ぐことに意義があるという
判断もあるわけで、
自由が無くて可哀想などと言われるものでもないと思います。


ついでに、
歌舞伎役者の不倫問題がニュースになっていることについて。
私は一般的な社会人とは異なる世界のお話だと思っています。
失礼ながら、それは一般人より高い世界というより逆の意味で。
(歴史的に見れば、そういう立場でしたし)
だから良くも悪くも、民間人の尺度で測るべきではないと思っています。







この漫画を読まなくなったきっかけは
於通が恋人 近衛信尹と結ばれたことです。

貴族しかも摂関家の当主である信尹の妻として庇護を受けることは
自由人として生きるという自分のポリシーに反するといって
正式な結婚はしないのですが
事実婚状態で子供も生まれます。

その状態を一人の人間として自立して生きていると
呼んでいいのか。
むしろ、摂関家の妻としての制約や責任を逃れて
良い所取りをしているようで
共感出来なくなってしまいました。