仁美のヒトミ

趣味(読書、芸術鑑賞)の記録を主に、日々の雑感などをつづります。

「オリンピックの身代金」 奥田英朗

ハードボイルドな社会派サスペンス、吉川英治文学賞受賞
 
 昭和39年東京オリンピック開催のその年、オリンピックの成功を目指して日本中が沸き立っていた。
 競技会場、新幹線、モノレールなど各種施設の建設が突貫工事で進む中、「東京オリンピックの開催を
 妨害する」という脅迫状が警視庁に届き、警察関連施設の爆破事件が続いた。このような状況を公表
 することは、国際社会に対して恥をさらすことになるとして、事件は一般には隠された。日本国の威信が
 かかった決死の捜査が始まった。捜査線上には島崎国男という一人の東大院生が浮かんだ。
 
 
改めて、奥田氏の引き出しの広さを感じた異色作です。
 
文章としては短い章に区切られて進んでいきます。章ごとに語られる人物が変わります。
一番中心となるのは、犯人島崎国男、次が警視庁捜査一課刑事落合昌夫、その他に
島崎の大学同期生で警視庁高官・オリンピック警備責任者の須賀の息子など。
 
章ごとにその日付が記してありますが、時間的に前後している配列もあり、
出来事が時系列に語られないことでミステリー性が生まれ、サスペンス度が高まっています。
 
草加次郎」という爆弾魔の名前を名乗って脅迫は行われますが
この人物は実在しています。(未解決)
 
 
 
犯人島崎国男は、秋田の寒村の生まれ。出身は貧しい農民ばかりの村で、男は皆出稼ぎに出るような所です。
例外的に彼が大学に進学できたのは、学力優秀なため学校の教師が推薦してくれたためでした。
彼はもともと思想家でも活動家でもなかったにもかかわらず、国全体を敵に回すようなテロリズム
走るようになった経緯が徐々に明らかにされていきます。
 
当時は、「高度経済成長期」「もはや戦後ではない」と言われた時期で、
敗戦のどん底からの復活に国全体が浮かれていたように見えながら、
その犠牲になった人々がいたことを取り上げています。
  
大規模な建設工事が各地で進められていますが、一番苦しい作業を引き受けさせられ
納期を守るための突貫作業のツケを回されるのは、孫請けにあたる小さな企業で
そこで働くのは農村から出稼ぎに来たような立場の弱い労働者でした。
 
島崎にとっての事件の始まりは、工事現場で働いていた兄の死亡の知らせが来たことでした。
死因は労働とは関係ないと言われ、「雇用者に対して、異議を申し立てない」という念書を書かされます。
その後、兄に代わって現場に入った国男は、人権などまったく守られない現場の実態を思い知ります。
 末端の労働者はまさに使い捨てにされているという状況で、現在はそんなことはないと
いいたいですが、「派遣切り」など形を変えているだけのようです。
 
 
 
警察側の視点からは、国家権力の横暴、警察内部での縄張り争いといった点が浮かび上がってきます。
警視庁は総力を挙げて事件解決に取り組みますが、対外的に秘密を維持しなければならないこと、
複数の部署が並行して捜査を行いまったく連携がとれないことから、スムーズには進みません。
 
警察の縄張り意識、内部隠蔽体質は現実のニュースでも時々伝わってきますが、(警察官の妻が
DV被害届を届け出たことを、署が加害者の夫に知らせた、というニュースを今日見ました)
ここでの公安部と刑事部の敵対意識は熾烈です。得た情報をお互い流さず、同じ聞き込みを
市民が二回されたり、犯人逮捕の予定を隠したりなど。
 
そういう体質の根深さも部署によってレベルが違い、公安部は警察というよりスパイのようです。
刑事部は犯人の人権にも配慮しなければならないのに対して、公安部は国家の安泰を守るためなら
不法侵入でも盗聴でもなんでもありです。島崎の共犯者を逮捕したときの公安部員のセリフが印象的です。
   「泥棒なんてどうだっていい。国体が大事なんだ。」
 
奥田氏は小説「サウスバウンド」でも公安警察を批判的に描いていますが、
国家権力とかに反発を覚えるタイプなんでしょうね。
私がこの作家を好きなのも、きっとその辺りなんだろうなあ。   
 
 
 
オリンピック開会式の最中に聖火台を爆破しようとした島崎は、
直前で落合刑事に撃たれ事件は終結します。
重傷を負った島崎が最終的にどうなったのかは語られずに終わります。
 
 
事件が解決されたため、最後まで一般には公表されないままです。
だから、この小説を実在した事件と想定することもできるのが
作品として優れた点かと思います。