仁美のヒトミ

趣味(読書、芸術鑑賞)の記録を主に、日々の雑感などをつづります。

「留魂録(リュウコンロク)」  吉田松陰   [幕末]

江戸幕府末期の安政の大獄事件において
死刑に処せられた吉田松陰(ヨシダ ショウイン)が
処刑の前日に門下生たちに向けて書いた書面(遺書)です。
 
私は    講談社学術文庫 「吉田松陰 留魂録」 古川薫   で読みました。
 
 
 
吉田松陰は、長州藩士で名高い思想家・教育者です。
明治維新の精神的指導者といわれています。
その所以は、彼の私塾 松下村塾の塾生から
明治維新の中心人物を何人も輩出していることからです。
松陰が塾を開いていたのはたった数年だったことを考えても
歴史的偉業かと思います。
 
私は数年、山口県に住んでいたこともあり
松陰は尊敬する人物の一人です。
 
山口県民の中にはいまだ
松陰の血脈が受け継がれているように感じました。
(人にもよるとは思いますが)
萩には、松陰ゆかりの史跡がしっかり保存されていますし
松陰神社もあります。
萩高校の校長室には銅像が飾ってありました。
 
 
長州藩の藩主は毛利家(毛利元就の)で、
代々藩主(年長者)が藩士(若者)を大切に扱う家風であったそうです。
松陰が世に名を残せた背景はそこにあるようです。
天才だけあって、日常生活レベルでは奇人であったようで
普通の藩なら世に出る以前にクビを切られていそうな人物です。
 
安政の大獄で刑死というと、幕府が虐殺したかの印象を与えますが
経緯からすると、松陰が我から死地に飛び込んでいったという状況だったそうです。
自分の思想信念のために命を捧げた炎の思想家です。
 
松下村塾の業績は、教育学的にも興味深いと思い
その観点からも見てみたのですが、
教育論の問題ではなく、彼個人の強烈な人格が周囲の人間に
影響を与えたということだったようです。
 
 
 
 
    身はたとひ 武蔵の野辺に  朽ぬとも 留置まし 大和魂                       
                     クチ     トドメオカ
                                    という辞世の歌から始まります。
 
 自らの死を前にして、その信念を子弟に向けて激烈に訴えている内容です。
 
 一番印象に残った文です。
 「君は問う、男子の死ぬべきところはどこかと。・・・・・・死は好むものではなく、また憎むべきでもない。
  世の中には生きながらえながら心の死んでいる者がいるかと思えば、その身は滅んでも魂の存する者も
  いる。死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよいし、生きて大業をなしとげる見込みあらば、いつまでも
  生きたらよいのである。つまり私の見るところでは、人間というものは、生死を度外視し、要するになすべきを   なす心構えこそが大切なのだ。」
 
 
かっこいいですよね~
 
坂の上の雲」の秋山好古兄ちゃんにも、同種の魅力を感じます。
 世の中のどこもかしこもがおかしくなっている現代に生きてると
こんな人がまた現れないものかと熱望してしまいます。
・・・・・現実逃避かなあ
 
 
 
ちなみに、松陰の命日が私の誕生日なのでした。
そんなことに無理矢理縁を感じています